不均衡、勘違い

ナッシュ均衡とかいうけど、ただの勘違いでは。

 

化学の準安定状態と何が違うのか。照らし合わせて考えよう。

 

準安定状態の代表例はダイヤモンドと水ガラスである。

そもそも黒鉛のほうが安定という事実を認めてくれる人がいなさそうなのだが。

水ガラスは不安定で、安定なのは粘土鉱物だ。

ただ我々の日常では、これらが安定状態への変化することはない。面倒だからだ。

 

人間もまた変化が怖くて、変化はエネルギー的に不利だから保守派となり、理想にはほど遠い地点でとどまってしまう。

経路依存性という言葉と深く関係していて、今までの経緯があるから今更大幅路線変更なんてできるわけがないという論理のもと、最適地点には永遠に辿りつけない。全てのプロジェクトがそうなのではないだろうか。

 

変化が怖いというのはまず本当なのか。変化したその先を想像できないからではないか。

また、仮に変化後のほうが効果的だと知ってもなお、それを不合理と思うのではないか。

 

ナッシュ均衡の本質は同調圧力と怠惰と愚鈍だ。

人と同じ、ということだけで人間社会ではエネルギー的には有利だ。何も考えずとも人真似だけで生きていけるのだから。

怠惰もそうで、理由なしに人間であれどギブズエネルギー的に不利な行動はできない。

そして、その理由を本当に見いだせない人間の愚かさがある。

 

ナッシュ均衡を化学と同じにしてよいのだろうか。

同調圧力というのは結合に相当するか。人と違うことをするのは結合を切ることにある。また、結合を切っただけではすぐにまたくっついてしまうから、結合を再構築できないほど愚鈍対象との距離を取る必要がある。気化のようなものだ。実際には液化くらいでとどまってしまうかもしれないけれど。

怠惰とは、ギブズエネルギー変化に相当する。人間はとにかく、無理なことはできない。その気になればできるとはいうけれど嫌な事はせいぜい3日坊主で終わるから、長期的な目線でギブズエネルギー変化が負でなければ無視してよいだろう。

 

愚鈍、これは化学と異なるかもしれない。ギブズエネルギー変化は人によって、また頭脳によっても変わりうる。あくまで見積もりしかできないのだが、その見積もりすら取れない人間が多い。

 

見た目は美しいだけでたいした利用価値がないエネルギー的に不安定なダイヤモンドではなく、幅広く世の中の役に立っているエネルギー的に安定な黒鉛のほうを大切にしたほうがいいかもしれない。